【大阪万博2025】90過ぎの「おばあ」を万博へ連れて行くことになるまでの話

私の「おばあ」は94歳。今年の誕生日で95歳になる。
5か月前に一度死にかけた。

そんな「おばあ」はどうやら、
万博に行きたいらしい。


三姉弟が育ち盛りの時に夫を亡くし、
男には負けんぞ!精神で、女でひとつで三人を育て上げた。と自慢げに話す
血気盛んな関西のシャカリキばあちゃん。
※不適切な表現ですが、昭和を生き抜いたおばあ本人の言葉のため、ご了承ください

10数年前に電動自転車で転けたため、
足が思うように動かせない不自由はあるが、口は大変、達者である。

細かく言えば死にかけた場面はこれまでにたくさんある。
病気での手術や自らの不注意で倒れ、搬送され、普通の人なら死んでいると
医師に激怒されたこともあったが、持ち前の明るさのせいか、死とは遠い存在に見えていた。

電動自転車で転んだ時も、相当痛かっただろうに、
息子に怒られないようにと、黙って過ごしていた。
そのせいで足は歪んでしまった。

思うように動かない足に文句を言いながら、
昨年11月まで自分の故郷でひとり生活をしていたが、
94歳にして初めて、
そんな「おばあ」が死ぬのではないかと思った。


おばあ自身もひとりで生活することが
難しくなってきたことは分かっていただろうが、
電話越しだと明るく元気な関西のおばあちゃん。
誰に気を遣うことなく、自由気ままにひとり自由に暮らすことが楽しいと
いつも話していた。

結婚後、なかなか会えていなかった私にとって「おばあ」の変化は突然。
急に向こうから頻繁に電話がかかってくるようになった。
弱気な発言や寂しさゆえのワン切り。
「お菓子あげるから会いにおいで」と物で釣ろうとするようにも。

かまってちゃんになってきたかな?とすごく軽く考えていたが、
変化を念のため、私の両親へ報告した。

両親は月に2回ほど「おばあ」の様子を見に行っていた。
両親曰く、そろそろ同居を考えた方が良さそうだけど、
「おばあ」が「うん」と言わないとのことだった。

そんな話から一週間も経たずに、
「おばあ」を実家に連れて帰ってきたとのことで、母から連絡が入った。

「おばあ」のことを気にかけてくれいる近所の方から
「低体温になって動けなくなっている」と深夜に母へ連絡があり、
急遽、迎えにいったとのことだった。

振り返ってみると、
電話越しにいつもの冗談は通じず、すべて真に受けてしまい、
少しのことで傷ついて涙声、生きる気力を失っているようだった。
「また会いに行くわ!」と本人に話していたので、
会いに行く計画を立てようかと考えていた矢先の出来事だった。

現在「おばあ」は、故郷を離れ、
私の実家で両親と暮らすことになった。

私も物理的に距離が近くなり、会いやすくはなった。
正直、行けるかどうかは分からないけれど、
昨年末、様子を見に行った際に「春になったら旅行に行こう!」と伝えていたことが
万博に行くことになる始まりだ。


それから約5か月、
よく寝て、よく食べて、
デイサービスでリハビリ強化。

歩行器があれば短い距離はなんとか歩行ができるようになった。
実家のトイレに設置されたポールと歩行器を使えば、
1人でトイレに行けるようにもなった。

94歳にして、この回復力にも驚いた。

つい最近まで、
「パンパースなんか履いて、どんどん赤ちゃんになってんねん(苦笑)」と
悲し気に話していたので尚更驚いた。

当初は何事も諦めモードの「おばあ」
「できひん。無理や。」の言葉ばかりで
到底、外には出られないだろうと思い込んでいた私。
春になったので、ダメ元で外食しようかと連絡したところ
思ってもみない「あの言葉」を口にした。


「万博へ行きたい。」


万博?え?
万博行きたいの?
正直、私自身は万博に興味が湧いていなかった。

「万博へ行きたい。」
それを聞いた今日は、2025年4月8日だ!

ん?開幕、5日前!

こうなったら冥土の土産じゃ~!!ということで
万博に行くことが決まったのだ。

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