【大阪万博2025】90過ぎの「おばあ」にとって、大阪万博は特別な思い入れがあったという話

しろねこのひとりごと

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【大阪万博2025】車椅子補助初心者が、90過ぎの「おばあ」を万博へ連れて行くなら、車椅子前方は特に注意しなければ迷惑をかけてしまうと思った話



94歳のおばあの願いを叶え、万博へ。
閉館まで残り2時間。

タイパビリオン 不思議な椅子



「サワディーカー!!!」

象たちとタイパビリオンのスタッフに出迎えられて、タイパビリオンへ。

もう閉館時間まで2時間切っているのに、
タイパビリオンのスタッフは元気ハツラツで勢いがある。

その勢いに圧倒されたままシアタールームへ通された。
スタッフの元気さからも医療に力を入れていることがよく分かる。




シアタールームには、大きなキューブと歯のような形をしたものが真ん中中心に置かれていた。
歯の形のようなものが椅子なのか半信半疑だったが、右端に座らせてもらった。

椅子だったようだ。

入るのが早かったため、せっかくなら真ん中に座ればよかったと少し後悔。
スタッフの掛け声とともにキューブと部屋に映像が映し出される。

映像に日本語の説明が入っていたが、直訳すぎるのか少しぎこちない日本語だった。
内容は医療を中心とした内容だったと記憶する。

シアターを抜けるとタイの医療についての展示や伝統医療として使われていたアロマが置かれており、嗅ぐことができた。

予約制だがマッサージも無料で受けられるようだ。

ガラス張りで調理工程が見えるタイ料理のテイクアウトもある。
残念ながら終了していたので、料理目的の場合は明るい時間帯に来る方が楽しめそうだ。



サウジアラビアパビリオン



こちらも空いてはいたが、なんと、なんと!
なぜか、VIPで通された。

VIPルートはスロープだ。
通常ルートは狭いのか、段差があったのかもしれない。

何度も何度も、VIP、VIPを連呼して、私たちを喜ばせようと陽気にパフォーマンスをしてくれていたことがよく伝わってきたので、おばあと最大限に喜びを表現した。

壁が高く、旧市街の路地裏を抜けてきた気分になる。

スロープを通り抜けると、四方全面が石の壁に囲まれた広場に出た。

プロジェクションマッピングだ!!!





広場を中心に囲まれた四方の建物にプロジェクションマッピングを映しているので、
上下左右吸い込まれるように見惚れてしまう。

どうやらストーリーもあるようだ。





昼は夜とは違う雰囲気だろうと思うので、また来たくなってしまう。

そんなことを考えながら、経路を進んでいくとお土産ブース前に出た。
奥で行列ができていたので急いで駆け寄ると、テイクアウトカフェだ。

サウジアラビアパビリオンに行くならばコーヒーをと期待していたが、残念ながらほんの数分前に販売時間が終了しており、並ぶことはできなかった。



インドネシアパビリオン



「コーヒーどうぞ~!」
サウジアラビアでコーヒーを飲み損ねたことを察するかのように、入り口でコーヒー片手に手招きをしている。
迷わずコーヒーを受け取り、入り口に吸い込まれた。

入り口はスロープなので、そのまま入館できる。

たくさんのお面が飾られた空間に入り少し驚いたが、
すぐ、植物園のような華やかな空間へ。





ん!ここはジャングルか!
道中も作り込まれており、経路通りに行くと上からジャングルを見下ろせることにも感激した。




ジャングルを抜けると、360度マッピングされた新しくできる首都ヌサンタラが映し出されていた。
なぜ首都を移転させるのかなと思い、調べてみると、地盤沈下や大気汚染、交通渋滞等が問題になっているからのようだ。

経路を進むと、織物の展示がある。
写真を撮り損ねたが、立体的に展示されているため、裏側までじっくり見ることができる。

その先の扉を抜けると大きな映画館のような場所に出た。
映像が流れていたが、車椅子は後ろの立ち見席だったので、少しだけ見て外に出た。

映画館のような空間は下り階段になっているが、
エレベーターは織物展示の空間にあるため、階段を下りる必要はないので安心してほしい。

インドネシアパビリオンにもカフェがあるが、この時間はやはり終了していた。
カフェ目当てはやはり明るい時間帯に来ることをおすすめする。



大屋根リングは21時までしか登れない



いつの間にか21時過ぎになっていた!

ドローンショーのこともすっかり忘れ、
夜の大屋根リングに登ることも忘れてしまっていた。

東ゲートまで大屋根リングを通って帰ろうと考えていたが、
大屋根リングのエレベーターは既に閉鎖されていた。
21時に閉鎖されるようだ。

登りたい場合は20時半頃には動き出すのがよさそうだ。
ドローンショーの時間に合わせて大屋根リングに登るのもよいかもしれない。


西ゲートのミャクミャクのお尻



ミャクミャクの生みの親の人が確か、
後ろ姿との写真撮影を推していた気がしたので、撮影できて満足した。




名残惜しくも諦めて帰路を目指すが、今いる場所からも東ゲートまでは遠い。
「おばあ」に「しっかりと目に焼き付けや!」と喝を入れてゲートへ向かう。




どのパビリオンもライトアップされていて、通り過ぎるだけでも見応えがあった。


「おばあ」は1970年に開催された大阪万博に家族で来ている。
「おばあ」の夫と3人の子どもを連れた白黒写真をよく何度も見せられた。


夫を病気で亡くしたのもこの年だ。
「おばあの夫」は当時の大阪万博の最終日まで何度も足を運んでいたらしい。
「おばあ」もきっと足さえ自由に動いたら、今回の万博も毎日行きたかっただろう。


足を悪くしてから、
「足さえ動いたら。」「足が悪いから、、、〜できない。」が口癖になっていた。

いろんなことが億劫になり始めていた「おばあ」が自ら行きたいと言い出した「大阪関西万博」


開幕5日前に突然、「万博に行きたい。」と言い出したものだから、
行くことが難しい理由を羅列した私。


「連れていってくれないならもういい。」と、「おばあ」が子どものように拗ねた日がすごく前に感じる。


もう東ゲートの出口は目の前だ。


ゲート前は大勢の人だかりができていたが、すぐに出ることはできた。
駐車場方面へ歩き出す。




少し振り向き、ライトアップされた東ゲートと写真をパシャリ。
疲労感たっぷりの写真だが疲れ顔も思い出だ。


途中までは電車組と同じルートのため、混雑は避けられないが止まることなく、駐車場に到着できた。


出発前にお手洗い。
「おばあ」が手を洗っている間に私もお手洗いへ。
疲れたのか、鏡に映る自分をじっと見ていた「おばあ」。


指が痩せて中指に付け変えた結婚指輪を見ながら、突然泣き出した。
「こんなことしてくれることないで、、、孫が連れてきてくれるなんて、、、、、万博行きたくても行かれへん人いっぱいいてんのに、、、。」


その後も言葉にならない言葉を涙しながら話していた。
鏡に映る自分を見て、55年の歳月が流れたのを実感したのかもしれない。


昨年末まで独居で1人、頑張ってきたのだから。
「おばあ」にとって、55年前の万博は家族皆が集合した、最後の外出イベント。


楽しくも悲しい年、心に深く刻まれているのだろう。
普段は涙ひとつ見せないパワフルなシャカリキばあちゃんが涙するので、私もつられてしまいそうになるが、まだ帰路があるので、喝を入れた。


「まだ終わってない!帰るまでが万博やで!今からが長いんやから!」


本当に今からが長い。
車に乗り込み、発進するまで涙していた「おばあ」。


疲れもあり、しんみりとした空気になるのかと思いきや、朝よりもテンションがぐんと上がり、昔話弾丸トークで帰路に着いた。


ただいまの時刻、25時。
実家の出迎えに「おばあ」のテンションはMAXだ。


興奮冷めやらぬ「おばあ」はまだまだ喋り足りないようで、「上がって行きや!泊まって行き!」と我が物顔。


あの涙はどこえやら?(笑)


まだまだ自宅までの道のりは長いが、自分の家ほどくつろげる場所はない。
実家といえど、出てしまえばもはや他人の家。
こちらは本当に疲れているので、静かな環境で過ごしたいのが本音だ。


帰ることを伝えると、怪訝な顔をされたが、もう白目を剥きそうなぐらい疲れている。
帰り車内の弾丸トークも「おばあ」のひとりラジオで、ほとんど聞いていなかった。


また会いに行くことを伝えて、休みながら帰ってきた。


時刻は28時30分。


気合いでお風呂に入り、倒れるように眠った。


その後、私は1週間、体調不良で使い物ならなかった。


対する「おばあ」は絶好調。


手作りのミャクミャクチケットホルダーを提げて、デイサービスへ行ったそうだ。


冥土の土産じゃなくない?まだまだ回復しそうだぞ!


「おばあ」とは幼少期の頃から、ポジティブに死ぬ時の話をよくしていた。
「ピンピン、コロリ」こんな感じやったらいいのになぁ。と、明るく最期の話をよくしていた。


最愛の夫を亡くしてから「おばあ」の心はずっと孤独だったのかもしれないが、「おばあ」の周りはいつも人が集まってきて、活気付いている。


子、孫だけでなく、教え子がよく「おばあ」に会いに来ている。


今も昔も変わらない活気ある日々の中で「おばあ」が望むような「ピンピン、コロリ」を目指して、最期まで走りきってほしいと思う。



次回 >>>>>

万博にも負けてない!愛知県にあるリトルワールドへ行ってみた!
※「おばあ」は行っていません。

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